習慣は、やらなくなるからこそ、習慣と呼ぶのかもしれない

朝起きを習慣とする、と宣言をして約一年、このブログは一度も更新されることはなかった。

 

あれから、大学院1年生としての生活は、早起きをなどとは無縁の生活であった。

 

12時に起きて、13時に学校着、17時まで研究をして21時まで研究室で麻雀、帰宅して朝3時までPS4でテレビゲームをやって寝る。といった日々であった。

罪悪感はなかった。このブログで宣言したことに対する責任などみじんもなかった。

ブログを開かなければいいだけだった。

 

あれから1年が経ち、世の中も大きく変わった。今ではコロナの影響で学校に行く必要もない。好きな時間にゲームをすることができる。

 

一緒にゲームをする友達は、自分の将来のために、学校に通いなおし、病院でのアルバイトを始めた。それゆえ彼らとゲームをするのは朝8時から13時までとなっている。

一年前に宣言した早起きの生活がゲームによって自然と達成できているのだ。今では朝食を食べないと昼前には元気が出ないという、健康的な生活を送っている。

 

友達の話をしたが、私においても、今年から大学院の2年生となり、3月から就活を始める時期に立っている。これにおいても、どこぞやのウイルスのせいで、企業の説明会や面接が全体的に遅れていて、この6月になっても、内定が決まっているのが珍しいくらいである。

 

他人行儀に話していたが、これは私の話だ。内定の話は私の希望であったが。

 

私は、生まれて24年ほど、仕事に対して魅力を感じたことがない。小さいころから「夢は何ですか?」とよく尋ねられてきたが、自分がなりたい職業など、はっきり決まったことは一度もなかった。

自分が何か一つの仕事を職に就け、自分はこれだという人間になるという未来が全く見えないのである。

 

就活を始めた今でも、就活支援サイトに流れる企業のページを眺めても、なにかに惹かれることはない。こんな私は今、とりあえず専攻した学問に関する企業と、趣味のゲーム会社を数社エントリーして、とりあえず内定が取れないかと願っている最中である。

 

しかし、こんな私の薄っぺらい思考など、企業の人事の人間はいとも簡単に見透かしてしまう。

web面接で数十分、面と向かって会話しただけで、私はその企業をどれほど志望していて、私はその企業に何を貢献できるのかを把握されているようだ。

ESは難なく通るが、面接がうまく通らない。すでに数社落ちて、残っているのは残り2社。まさに崖っぷちである。

 

このニートへまっしぐらの現在から目をそらすがごとく、今一年ぶりにこのサイトを開いて、今の不安や恐怖をここに書き連ねる。少しでも楽になればと。

 

もう未来のことなど考えず、くそニートとして、親のすねをむさぼりつつ、堕落した生活を送りたい、そんなこと全人類が思っていることであろう。しかし、私のような小心者は周りの目なんかを恐れて、「まともな人間」になろうとする。

 

となると、実際に引きこもって親に迷惑をかけて生きている人たちは、その恐怖に立ち向かって生きているという点では、私より度胸があるのだろう。正直あこがれる。それゆえ嫉妬する。

 

あぁ、口では後悔しない最高の人生を、などと語りつつ、リスクを恐れて自然と普通の人生にかじを切っているような、私の人生に乾杯。完敗。

 

少しばかり後れをとったが、もう少し、自分の人生に立ち向かってみたいものだ。リスクを恐れてみたいものだ。いっそのことその舵を折ってやろうか。

 

一か月後に私は嬉しいニュースをここに書けることをひたすら願う。

早起き宣言の二の舞はごめんだ。